最近、インフルエンザにかかって家から出られない期間が続いています。
家にいても暇なので、思い切って大掃除をしました。
思い出の品を捨てる覚悟
そこで、これまでなかなか捨てられなかった思い出の品を一部手放すことにしました。
旅行先で買った置物、アクセサリー、好きだった映画のグッズ etc…
買うときは欲しい! と思って買ったモノですが、何年も使わず放置していたのを見て、「使われずに放置されて、ホコリかぶっているのをが辛い…」と思いました。
置いてるだけでは、残念ながら役に立ちませんので。
そこで、不要なものを思い切って捨てる決意をしました。
捨てるだけでは忍びないので、写真を撮ってみた
といっても小学生の頃から大事にとってきたモノなどは、そのまま捨てると、思い出まで一緒に捨ててしまう感じが嫌でした。
そこでせめて「持っていた」ことを忘れないように…と思って、一つ一つ写真に収めていきました。
捨てたモノを見返してみる
捨てたものを撮った写真をプリントし、ノートに貼り付けました。
こうして「捨てたものリスト」を眺めてみると、大げさかもしれませんが自分の人生の変遷を辿れて面白いです。
昔『ロード・オブ・ザ・リング』という映画が大好きで、映画館で買ってもらったグッズや、『ドラえもん』の映画の入場者プレゼントなど、思い出の品がたくさんありました。
他の人には「ガラクタ」と言われそうなものでも、僕にとっては一つ一つ大切なな思い出だったんだなぁ…と思います。
捨てた服を見ると「昔はこういう服が好きだったのかー!」と、普段あまり気づかない自分を見ている気分になります。
手元にモノは残っていませんが、「こういうもの持ってたなー!」という思い出を楽しめるので、写真に残しておいて良かったなと思います。
モノを持つことで得られていたもの
結局、僕らがモノをなかなか捨てられない理由って何だろう? を考えてみると、思い出が詰まっているのが大きいのではないかと思っています。
モノを持ちたいというより、モノに付随する思い出を大切にしていたんだと思いました。
写真に残しておくことで、モノはなくてもモノに付随する思い出はこれからも思い出せます。
どこかで「もし旅行をして、旅行後の記憶が100%なくなるしたら、旅行する人はいない。我々は旅行を通じて記憶を作ろうとしている」というTweetを見かけたことがあります。
モノを持つとか、買うも同じで、記憶や体験を作るためにやっていることなんだと思いました。
「あ、でも写真として残っていれば、自分は満たされるんだ」というのが今回の気づきでした。
ミニマリストへの憧れ
掃除をするのが好きになったのは、最近よく聞く「ミニマリスト」にちょっとした憧れがあるからです。「ミニマリスト」もプチブームのようで、あちこちで聞くワードとなってきました。
火付け役になったのは、下のような断捨離本や、モノを持たない生き方を綴った本でしょうか。
ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -[Kindle版]
大量生産、大量消費の時代から、物を持たないことが美徳とされる時代への転換期なのかもしれません。
ただ、これらの本を読んで実際に掃除に励んだ結果、「きれいな部屋って過ごしやすいな…」と自分自身が実感し、時間を見つけては少しずつ片付けをするようになりました。
巷のミニマリストみたいには無理だけど…
さすがに、巷でモノを捨てまくっているミニマリストの方のように布団もベッドもいらない! 寝袋があれば十分だ! というのは無理ですし、机なんて折りたたみローテーブルで十分! といわけにはいきません。
きちんとした布団で寝ないと疲れはとれませんし、ローテーブルで切り絵なんてやっていた日には腰が壊れます。
でも、切り絵という作業は、1枚の紙から不要な部分をそぎ落としていく作業ですので、ある種ミニマリストにシンパシーを感じる部分があります。
少し時間が余ったときには、えいや! と捨てられなかったものを捨ててみると、予想以上にスッキリできるかもしれません。
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