弥生の活動はアート? デザイン?
知人「弥生さんの作品とか展示法への考え方とかを聞くと、やってることはアートよりもデザインに近いよね」
ドキッ。
実は自分自身、最近の活動を見直してみるとアートというよりも、むしろやろうとしていることはデザインに近いということを薄々感じていました。
自分は切り絵作家と名乗っても良いのか
他に思いつく肩書きがなかったため、長らく「切り絵作家」という肩書きを使っていました。もちろん肩書きというのは記号に過ぎないため、あまり気にする必要はないのですが、自分のことを切り絵作家と名乗ることに違和感を持っています (あと数ヶ月したら、肩書きを変更しようと考えています)。
ところでアートとは何でしょう? またデザイナーとは何でしょうか?
インターネット検索に出てくるこちらの記事が自分のイメージする「アートとデザインの違い」の考えにすごく近かったのでご紹介させていただきます。
自分のイメージするアートとデザインの違いをすごく乱暴な言い方をすると、恐縮ではありますが次のようになります。
- アート → 自分中心
- デザイン → 相手中心
私の場合このイメージを前提とすると、パッと思いつく日本人アーティストが2名おります。岡本太郎さんと草間彌生さんです。
このお二人の作品は「見る側 (観客)」に綺麗なものを提供しようとしている感じがしません。自分の作りたいもの、内から生まれるものを真っ直ぐに表現している感じを受けます。ストレート。そして、狂気。
岡本太郎著『自分の中に毒を持て』を読んで芸術について感じたこと
大阪万博、太陽の塔で有名な岡本太郎さんの著作『自分の中に毒を持て』 を読み、この中で岡本太郎さんの芸術を表現する一言がすごく印象に残りました。
“芸術は爆発だ”
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社)
これだけでは意味が伝わらないと思うので、他の文章をご紹介させていただきます。
芸術と言っても、何も絵を描いたり、楽器を奏でたり、文章をひねくったりすることではない。そんなことはまったくしなくても、素っ裸で、豊かに、無条件に生きること。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社)
生きることそのものが芸術であるという論。
すごくストレート。
この「生きること」に「表現」や「残す」という行為を加えたものが芸術だというのが私の意見です。ただ「生きること」というものがアートの本質であるというのは大きなキーワードであると感じました。
ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社)
綺麗なものを作れなくても、強烈に生きることを表現していく。自分の内に生まれるものを爆発という形で残していく。多分見る側は、人の内側から爆発した作品に強烈な迫力を感じるのではないかと思います。
自分は今まで、人生を爆発させたような作品を作れたことはあるのだろうか…ないな。多分。
だから作ってみたい。人に狂気を見せつけるようなものを。この本を読んで、素直にそう思いました。
最後にこの世に生まれたばかりの赤ちゃんが一番の芸術家であると考えさせられた一文をご紹介し、締めたいと思います。
まったく無防備な生命。しかし力強く、ありったけの力をこめてオギャアー、オギャアーと泣く。悲しいからではない。嬉しいからでもない。生命が無条件に外に向かってふき出しているのだ。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社)
自分のアート活動の根幹を考えさせられる本でした。
「生きる」ということを思いっきり外に爆発させるような作品…そんな作品を作れるときがあるのだろうか。
とりあえず、全力で生きることについて考えてみようと思います。
では、そんな感じで!
コメントを残す